ボイメンのおかげで大学に合格した話(前編)
他の記事を書こうとしていて下書きのストックはあったのですがそれより先にこっち書きたいなと思いまして。
タイトルにある通り
私、大学に合格しました!!!
受験あったのになんで2月にブログやってんだよって感じですが(^_^;)
実は息抜きにちまちま書いたのを投稿しておりました
今までの私は正直他人からしたらつまらない人生を歩んできました。自分でも大して努力もせずに怠けてきた人生だと思います。しかしこの大学受験は私の人生の中では努力の証として生涯刻まれる大きな経験となりました。そして今この経験をブログという形で残したいと考え、合格体験記のようなものを綴ろうと思います。タイトルに書いているにも関わらず、ボイメンに出会うまでの話が非常に長いです…
30年後の自分
高校二年生の秋。
英語が苦手な私は大学に入ってから英語とあまり関わらないで済むのは理系かな?就職先も多そう!という軽い気持ちで理系を選択しました。
これが間違いだと気づいたのは高3の5月。
旧帝大の工学部を目指していましたが、あるとき思いました。30年後、私がずっと研究をしている姿を想像できるか?
……答えはいいえ。
私が30年自信を持って楽しくできる仕事ってなんだろう。このように考えたとき私は夢を持ちました。そして理系から文系に、いわゆる文転を決意しました。
高3の7月。
理科は基礎教科を1からやり直し、
社会は1教科独学で勉強を始めました。
定期テストは理系教科のままで、評定も理系のまま。
正直大変でしたが、夢を叶えるために行った選択なので後悔はありませんでした。
そして進路決定が7月下旬にありました。
親の希望は地方国公立大学。
国公立大学は計3回の入試のチャンス。
私はなんとか評定基準を満たし推薦、前期、後期を受けることにしました。
その中でも親と担任は推薦で受からせようという思いでした。
私も推薦で受かりたいという思いがありました。
とても大切な挫折
私の通う高校は私立高校で国公立や有名私立を狙う人の大半は特進コースで学びます。特進は月曜日から金曜日まで8時間授業で、土曜祝日は講習があります。また推薦、AO対策はマンツーマンでの指導です。塾に行く必要がなく、自主的に勉強しない私にはぴったりの環境でした。
そして8月から夏季講習に加えてマンツーマンで志望理由書の作成が始まりました。
何度も何度もやり直しました。なぜこの大学でなければならないのか毎日考えました。
さらに小論文の練習も始まりました。
月日は流れ11月。
志望理由書を大学へ送り、面接の練習が始まりました。
もともと文章力と人前での発表は担任から高評価を頂いており、私自身もわりかし自信がありました。
だから小論文と面接に自信があり、推薦で受かりたい気持ちが強かったんです。さらに倍率は2.4。受かる気でいました。
しかしこの自信が私を追い詰めたのです。
小論文は順調でした。けれど面接は全くダメでした。
面接の練習をするたび、私は号泣しました。
質問に答えられない…あんなに自信あったのに…なんでこんなこともできないの?今の自分最悪…こんなんじゃ全然ダメ
自信があった面接。
しかし全く出来ない自分が悔しくて泣いてまともな練習が出来ませんでした。
このとき私のメンタルはズタボロでした。
何も前が見えず、ひたすらネガティブな気持ちで日々を過ごしました。
そしてズタボロのまま迎えた推薦試験当日。
小論文を先に行いました。
120分の試験。私はこんなに時間があれば終わるだろうと思っていました。
残り10分。
目の前にあったのは残り300字の空白。終わらないことを悟りました。そうしたら手の震えが止まらなくなりました。必死に震える右手を押さえつけながら書いたらあっという間に終了時刻になりました。
残り200字。
ああ…終わった。いろんな意味で。
震えた字で書かれた答案が回収され、ようやく事態を飲み込むと自然と涙が溢れてきました。
あんなに号泣して出来なかった面接ではなく小論文で失敗しました。小論文の後に待っていた面接は正直覚えていません。なんとか涙を堪えて答えた…はずです。
帰り道はずっと泣いていました。
自信なんて、腐ったプライドなんて持つもんじゃない。
自分に期待して自分で破綻する愚かな自分が嫌になり、推薦試験を忘れるために前期試験に向けて勉強することしました。
12月。
いつもほぼ遅刻して登校する自分を変えるために、毎朝7時半登校、さらには夜7時下校をすることにしました。
せめて学校にいる間は集中して勉強しようと思いました。きっとこれが継続できたら試験で力が発揮できる。そう信じて。
突然現れた救世主
推薦とAOで受かった人が来なくなった冬季講習。
年末年始はわずか3日間。
年が明けて1月3日からまた講習が始まりました。
私は年末年始の大量の課題でとても疲れていました。
やがてなんのために勉強をしているのかわからなくなって勉強が辛くなっていきました。
1月5日土曜日の夜。
勉強が辛くてとにかく現実逃避がしたくなって前々から気になっていた『ダブルミンツ』を観ました。
自分の生活とは全く無縁なこの映画を観ている間、辛さや迫り来る不安を忘れることができました。
そしてこの映画を観終わった後、私は「田中俊介」で検索をかけました。
素敵な演技をされていたので他に出演されている作品が知りたくなったんです。
ーBOYS AND MEN 田中俊介ー
ああ…この人はボイメンの人だったのか。
検索して名前は知っていたボイメンと田中くんがリンクしました。
さらに田中くん経由でボイメンを調べるとMVがあることに気づきました。
YouTubeでYAMATO☆Dansingを観て田中くんいいな…と思いました。それから他のMVを観てだんだんボイメンが好きになりました。
この日を境に私は毎日ボイメンのMVを観るようになりました。
次第にMVを観て1日頑張ろうと思えるようになったり、家に帰ってMVを観たいから学校で勉強終わらせようと考えるようになりました。
そして勉強が辛くなくなっていきました。
ボイメンが生きがいになりつつありました。
しかしセンター1週間前。
私はあのトラウマを思い出し、自分の将来に不安を覚えてまたしても泣いてしまったのです。
つづく
それでは文が長くなったのでここでストップして…私がトラウマを乗り越え、二次試験に立ち向かい、合格するまでの様子を後編で書きたいと思います。